2023年10月1日の山口新聞リレーエッセイに掲載されました。
創業した頃に一度受け取ったリレーエッセイのバトンが、約5年をかけて再び戻ってきました。当時は30歳になったばかりで、随分と生意気なことを書きましたが、今回は更に偉そうなことを書いてしまいました。書いた内容に恥じないように頑張ります。
ということで、今回の原稿の全文を掲載します。
人生を通じた「継承」に関する考察
~忘れられない恩師たちに寄せて~
私たちは無自覚のうちに与え合っている。
何かを受け取り、何かを受け渡す。
その継承に人間社会の本質はある。
喜ばしい責任
私は6年前に故郷である下関市長府に戻り、フェイブスクールという学習塾を開業した。時事問題を扱う授業、一緒に考える時間、何気ない会話から、生徒たちは何かを学び取り、大きく成長する可能性がある。その成長の結果を人生にわたって見届けることはできないが、未来につながる時間を共有している感覚は、私に喜ばしい責任感を与えてくれる。
30歳手前で勤めていた会社を辞めて米国留学。そこで教育に関わる仕事をしたいと思い立つまで、まさか自分が「先生」と呼ばれる立場になって、子供に関わることになるとは予想していなかった。しかし、思い返してみると、私はお世話になった先生たちを尊敬して、感謝していたのだと思う。だから、歳月を経て、自分自身もそういう存在になりたいと思ったのは、自然なことだった。まずは、現在の私につながった恩師との思い出を紹介したい。
語学は冒険の準備
1人目は中学校の英語担当だったT先生。授業時間の許す限り、海外の文化や自身の旅行の経験を語ってくれた。今でも鮮明に覚えているのは、深夜のニューヨークの地下鉄でのエピソードは。治安の悪いエリアに迷い込んでしまったT先生。逃げ道のない細い路地の向こう側から、ギャングのような恰好をした男たちが近づいてくる…背の高い男が「ヘイ、ブラザー」と色黒のT先生を呼び止めた。そして「ここは危ないから早く帰れ」と優しく声をかけてくれたそうだ。他愛もない小話だったが、異国の夜がもたらす緊張と海外の人と仲良くなれる英語の可能性に感動した。それからというもの、私にとって英語の勉強は冒険の準備に変わった。そのお陰で海外旅行が趣味になり、留学にも行けた。どこでも生きていける自信がついた。
成長できる環境
2人目は中学校3年生の担任だったM先生。「君は自分で何でも勝手にやってしまう性格だから、こっちの高校の方が成長できる」と意見をくれた。それは私が行こうとしていた高校より難易度で言えば下の高校だった。しかし、後になって分かったことは、進学実績に優劣があっても受験は個人戦。よい参考書を使って努力すれば難しい大学にも行ける。教科書を読み解く日本語力があれば予備校も不要だ。実力的に合った高校ではなく、高校でどれだけ成長できるかまで考えてくれたM先生には感謝しかない。
継承するために
2人の先生は、自身の言葉がこのような未来に結びつくことは予期していなかっただろう。あるいは、こんな出来事は既に忘れてしまっているかもしれない…もちろん、私のことも。それでも、ある瞬間、ある人が心からの言葉を発すると、その言葉は大きな力をもって現実を変えることがある。だからこそ、今があり、私は教育の仕事に携わっている。
私たちは無自覚のうちに影響を与え合っている。食事や交流、消費や勉学によって何かを受け取り、行為や言葉、生産や活動によって何かを受け渡している。言動はすべて継承であり、その総体が社会となる。人間社会においては、何も受け取らず、何も与えない人はいない。そのことを自覚すれば、誰だって誰かの恩師になれる。私は善いものを継承する人でありたい。そのためには、学び続けるしかない。
原稿には書けなかったこと
10/1(日)リトスタの店長
10/8(日)はGINNAの店長
とリレーが続きます。
「リトスタ」は中浜市場にある小さなコーヒースタンド。
中浜市場と言えば小学生のころ寄り道して「おいしい水」を飲んでいた思い出の場所です。
「GINNA」は長府商店街にある雑貨屋さん。
色々な作家さんの商品が展示されていて、娘もお気に入りのお店です。
こうして、いろんな人の力で地域の文化が継承されていることを実感する最近。
フェイブスクールもその一部を担っているという自負を持って頑張ろうと思いました。
自分のことはさておき、身近な人のエッセイを読むと、「こんなことを考えているんだぁ」というのが見えて面白いですね。